
人間にとって 必要な力…
他人を 理解する力…
相手に ものを伝える力…
相手から 逆にものを伝えてもらう力…

人間は
何を滑稽だと思うかによって
何よりもよくその性格を示す
人間の過ちこそ
人間をほんとうに愛すべきものにする
ゲーテ(独)

Ambition can creep
as well as soar.
大志は 空を飛ぶことも出来れば
同じように 地を這うことも出来る
エドモンド・バーク
きっと游いだり潜ったり浮上したりもできるのでしょうね…
志ってすごいなぁ〜
何でもできて…
拝

さあ〜っ! きょうよりは また再びっ!!
新たなる目標に向け
さらに いよいよの思いでっ!
日々是前進して…
参りまっしょぉ〜っ!!!
などと とりあえず自分を
鼓舞し 励ましております…
拝

勉励したるは
何のため
貴方よ それをば
忘れずに
苦に徹すれば
玉となり
光を放ち 世を明らしむ…
苦に徹すれば
玉となり
光を放ち 世を明らしむ……

私は不幸にも知っている
時には
嘘による外は
語られぬ真実も
あることを…
【 芥川龍之介 】
やぶの中…
虚偽 いんちきも
ずるっこも
悲喜劇 この世の つねなれど
クロード・モネの
睡蓮をおもふ
ikegogo 拝
人生、すべてが順調・完璧というわけにはいきません。
勝つときもあれば負ける場合もあります・・・
仮に一時は敗北したように感じても、
自分自身に負けてはなりません。
自分自身に負けるのが一番、悲しく惨め・・・
今どんな境遇にあったとしても、
また、心ない人々から何を言われようとも、
内面で自分自身に勝っている限り、
その人自身は賢者であり勇者であり、勝者…

それは、彼らを判断するのに決して急がないことだ。」
サント・ブウブ フランス詩人、作家、批評家
余りにも有名な言葉故、切り文にしないためにも下記ご参照のほどを・・・ 拝
月曜閑談
サント・ブーヴ 土居 寛之
読書について 小林秀雄
僕は、高等学校時代、妙な読書法を実行していた。学校の行き帰りに、電車の中で読む本、教室でひそかに読む本、家で読む本、という具合に区別して、いつも数種の本を平行して読み進んでいるようにあんばいしていた。まことにばかげた次第であったが、その当時の常軌をはずれた知識欲とか好奇心とかは、とうてい一つの本を読み終わってから他の本を開くというような悠長なことを許さなかったのである。
だが、今日のように、思想の方向も多岐にわたって乱れ、新刊書の数も種類も非常に増して、読書のしかたとか方法とかについてとまどっている多くの若い人たちを見るにつけ、僕は考えるのだが、自分ががむしゃらにやった方法などは、案外ばかげた方法ではなかったかもしれぬ、と。もしかしたら、読書欲に憑かれた青年には、最上の読書法だったかもしれないとも思っている。
濫読の害ということがいわれる。濫読による浅薄な知識の堆積というものは、濫読したいという向こうみずな欲望に燃えているかぎり、人に害を与えるような力はない。濫読欲も失ってしまった人が、濫読の害など云々するのもおかしなことだ。それに、僕の経験によると、本が多過ぎて困るとこぼす学生は、たいがい本を中途でやめる癖がある。濫読さえしていない。
努めて濫読さえすれば、濫読に何の害もない。むしろ濫読の一時期をもたなかった者には、後年、読書が本当に楽しみになるということも容易ではあるまいとさえ思われる。読書の最初の技術は、どれこれの別なくむさぼるように読むことで養われるほかはないからである。
ある作家の全集を読むのは非常にいいことだ。研究でもしようというのでなければ、そんなことは全く無駄ごとだと思われがちだが、決してそうではない。読書の楽しみの源泉にはいつも「文は人なり」という言葉があるのだが、この言葉の深い意味を了解するのには、全集を読むのが、いちばん手っとり早いしかも確実な方法なのである。
一流の作家ならだれでもいい、好きな作家でよい。あんまり多作の人は厄介だから、手ごろなのを一人選べばよい。その人の全集を、日記や書簡のたぐいに至るまで、隅から隅まで読んでみるのだ。
そうすると、一流といわれる人物は、どんなにいろいろなことを試み、いろいろなことを考えていたかがわかる。彼の代表作などと呼ばれているものが、彼の考えていたどんなにたくさんの思想を犠牲にした結果生まれたものであるかが納得できる。単純に考えていたその作家の姿などは、この人にこんな言葉があったのか、こんな思想があったのかという驚きで、めちゃめちゃになってしまうであろう。その作家の性格とか個性とかいうものは、もはや表面のところに判然と見えるというようなものではなく、いよいよ奥のほうの深い小暗いところに手探りで捜さねばならぬもののように思われてくるだろう。
僕は、理屈を述べるのではなく、経験を話すのだが、そうして手探りをしているうちに、作家にめぐり会うのであって、だれかの紹介などによって相手を知るのではない。こうして、小暗いところで、顔は定かにわからぬが、手はしっかりと握ったという具合なわかり方をしてしまうと、その作家の傑作とか失敗作とかいうような区別も、べつだんたいした意味をもたなくなる、というより、ほんの片言隻句にも、その作家の人間全部が感じられるというようになる。
これが、「文は人なり」という言葉の真意だ。それは、文は目の前にあり、人は奥のほうにいる、という意味だ。
「文は人なり」ぐらいのことはだれにでもわかっているというが、実は犬は文を作らぬ、ということがわかっているに過ぎない人が多い。
書物が書物には見えず、それを書いた人間に見えてくるのには、相当な時間と努力とを必要とする。人間から出てきて文章となったものを、再び元の人間に返すこと、読書の技術というものも、そこ以外にはない。もともと出てくるときに、明らかな筋道を踏んできたわけではないのだから、元に返す正確な方法があるわけはない。
要するに読者は暗中模索する。創った人を求めようとして、創った人のまねをするのだ。なるほど、作者という人間を知ろうとして、その作家に関する伝記その他の研究を読んだり、その時代の歴史を調べたり、というようないろいろな方法があるが、それは碁将棋でいえば定石のようなものだ。定石というものは、勝負の正確を期するために案出されたものには相違ないが、実際には勝負の不正確さ曖昧さを、いよいよ鋭い魅力あるものにする作用があるだけだ。人間は、厳正な知力を傾けて、曖昧さのうちに遊ぶようにできている。
読書百遍とか読書三到とかいう読書に関する漠然たる教訓には、容易ならぬ意味がある。おそらく後にも先にもなかった読書の達人、サント・ブウヴも、漠然たる言い方は非常にきらいであったが、読書については、同じように曖昧な教訓しか残さなかった。
「人間をよく理解する方法は、たった一つしかない。それは、彼らを急いで判断せず、彼らの傍らで暮らし、彼らが自ら思うところを言うに任せ、日に日にのびてゆくに任せ、ついに僕らのうちに、彼らが自画像を描き出すまで待つことだ。
故人になった著者でも同様だ。読め、ゆっくりと読め、成り行きに任せたまえ。ついに彼らは、彼ら自身の言葉で、彼ら自身の姿を、はっきり描き出すに至るだろう。」
なぜ、こういう教訓が容易ならぬ意味をもつか。こういうふうに、まにあわせの知識の助けを借りずに、他人をじかに知ることこそ、実は、本当に自分を知ることにほかならぬからである。人間は自分を知るのに、他人という鏡をもっているだけだ。自己反省とか自己分析とかいう浪漫派文学の産んだ精神傾向は、感傷と虚栄との惑わしに満ちた、架空な未熟な業に過ぎない。
杉村楚人冠氏の感想だったと記憶するが、印刷の速力も、書物の普及の速力も驚くほど速くなり、書物の量はいよいよ増加する一方、人間の本を読む速力が、依然として昔のままでいることは、まことに滑稽の感を起こさせるものだ、という意味の文章を読んだ。僕は読書の真髄というものは、この滑稽のうちにあると思っている。
文字の数がどんなに増えようが、僕らは文字をいちいちたどり、判断し、納得し、批評さえしながら、書物の語るところに従って、自力で心の一世界を再現する。このような精神作業の速力は、印刷の速力など何の関係もない。読書の技術が高級になるにつれて、書物は、読者を、そういうはっきり目の覚めた世界に連れてゆく。逆にいい書物は、いつもそういう技術を、読者に目覚めさせるもので、読者は、途中でたびたび立ち止まり、自分がぼんやりしていないかどうか確かめねばならぬ。いや、もっと頭のはっきりしたときに、もういっぺん読めと求められるだろう。人々は、読書の楽しみとは、そんな堅苦しいものかといぶかるかもしれない。だが、その種の書物だけを、人間の知恵は、古典として保存したのはどういうわけか。はっきりと目覚めて物事を考えるのが、人間の最上の娯楽だからである。
今日のような書物の氾濫の中にいて、何を読むべきかと思案ばかりしていても、流行に書名を教えられるのが関の山なら、これはと思う書物に執着して、読み方の工夫をするほうが賢明だろう。
小説の筋や情景のおもしろさに心奪われて、これを書いた作者という人間を決して思い浮かべぬ小説読者を無邪気というなら、なぜ進んで、たとえばカントを学んで、カントの思想に心を奪われ、カントという人間を決して思い浮かべぬ学者を無邪気と呼んではいけないか。読書の技術のつたないために、書物から亡霊しか得ることができないでいる点で、決して甲乙はないのである。サント・ブウヴの教訓を思い出そう。「ついに著者たちは、彼ら自身の言葉で、彼ら自身の姿を、はっきり描き出すに至るだろう。」それが、たとえどんな種類の著者であってもだ。ついに姿を向こうから現してくる著者を待つことだ。それまでは、書物は単なる書物に過ぎない。小説類は小説類に過ぎず、哲学書は哲学書に過ぎぬ。
書物の数だけ思想があり、思想の数だけ人間がいるという、あるがままの世間の姿だけを信ずれば足りるのだ。なにゆえ人間は、実生活で、論証の確かさだけで人を説得する不可能を承知しながら、書物の世界に入ると、論証こそすべてだという無邪気な迷信家となるのだろう。また、実生活では、まるで違った個性の間に知己ができることを見ながら、彼の思想は全然誤っているなどとどなりたてるようになるのだろう。あるいはまた、人間はほんの気まぐれから殺し合いもするものだと知っていながら、自分とやや類似した観念を宿した頭に出会って、友人を得たなどと思い込むに至るか。
みんな書物から人間が現れるのを待ちきれないからである。人間が現れるまで待っていたら、その人間は諸君に言うであろう。君は君自身でいたまえと。一流の思想家のぎりぎりの思想というものは、それ以外の忠告を絶対にしてはいない。諸君に何の不足があるというのか。
以上 下記サイト参照させていただきました。 拝
野浪正隆研究室
硫黄島沖で海底噴火か 1000メートルの水蒸気柱
三陸河北新報社 7.3 01:26
小笠原諸島南硫黄島沖で立ち上がった水蒸気=2日(海上自衛隊提供)
防衛庁に入った連絡によると、2日午後5時45分ごろ、小笠原諸島(東京都小笠原村)南硫黄島の北東約5キロの太平洋で、水蒸気が高さ約1000メートル、直径50−100メートルの巨大な柱状に立ち上がっているのを、海上自衛隊硫黄島航空基地の隊員が見つけた。
海底火山が噴火したとみられる。海上保安庁が付近を航行する船舶に注意を呼び掛けるとともに、3日早朝から航空機で調査する。
防衛庁などによると、海自の救難ヘリコプターが確認したところでは、水蒸気の中心部に赤い光が確認された。
現場は北緯24度17分、東経141度29分の福徳岡ノ場と呼ばれる海底火山付近で、硫黄島の南南東約50キロ。硫黄島には海自の隊員らが居住している。南硫黄島は無人。
気象庁によると、津波の恐れはない。
2005年07月03日日曜日
硫黄島・・・と聞けば襟を正さずにいられない。
前回訪問したのはいつの日だったことだろう…
厳粛な気持ちに、自然となる島だった。
普通では なかなか行けない島・・・
艦砲射撃に 地下通路・・・
過酷な環境下での 人間の使命感・・・
言語表現をしてしまうと
かえって言葉が陳腐にさえ 感じられてしまう・・・
今日は あまり私見を入れぬ方が良いと感ず。 拝
「一刻も長くここを守り、東京が少しでも長く空襲を受けない
やう」という一節に、栗林中将の明確な狙いが見てとれる。死に急ぐのはかえってたやすい。2万の兵に玉砕を覚悟させなが
らも、「一刻でも長くここを守る」ために、長く苦しい戦いをいかに続けるか、そこに栗林忠道中将の苦心があった。
三陸河北新報社 7.3 01:26
小笠原諸島南硫黄島沖で立ち上がった水蒸気=2日(海上自衛隊提供)
防衛庁に入った連絡によると、2日午後5時45分ごろ、小笠原諸島(東京都小笠原村)南硫黄島の北東約5キロの太平洋で、水蒸気が高さ約1000メートル、直径50−100メートルの巨大な柱状に立ち上がっているのを、海上自衛隊硫黄島航空基地の隊員が見つけた。
海底火山が噴火したとみられる。海上保安庁が付近を航行する船舶に注意を呼び掛けるとともに、3日早朝から航空機で調査する。
防衛庁などによると、海自の救難ヘリコプターが確認したところでは、水蒸気の中心部に赤い光が確認された。
現場は北緯24度17分、東経141度29分の福徳岡ノ場と呼ばれる海底火山付近で、硫黄島の南南東約50キロ。硫黄島には海自の隊員らが居住している。南硫黄島は無人。
気象庁によると、津波の恐れはない。
2005年07月03日日曜日
硫黄島・・・と聞けば襟を正さずにいられない。
前回訪問したのはいつの日だったことだろう…
厳粛な気持ちに、自然となる島だった。
普通では なかなか行けない島・・・
艦砲射撃に 地下通路・・・
過酷な環境下での 人間の使命感・・・
言語表現をしてしまうと
かえって言葉が陳腐にさえ 感じられてしまう・・・
今日は あまり私見を入れぬ方が良いと感ず。 拝
「一刻も長くここを守り、東京が少しでも長く空襲を受けない
やう」という一節に、栗林中将の明確な狙いが見てとれる。死に急ぐのはかえってたやすい。2万の兵に玉砕を覚悟させなが
らも、「一刻でも長くここを守る」ために、長く苦しい戦いをいかに続けるか、そこに栗林忠道中将の苦心があった。

宴からとも
おんなじやうに
人の世からも
はやばやと
飲み過ぎもせず
ほどよき頃に
喉が渇きも
せぬうちに
立ち去ることが
一番よいか…
周囲に迷惑
かけぬうち
立ち去ることが
一番よいか…
我が子のごとくに
思いたまわり
一切あはれみ
いつくしみ
恩を報ずる 心あるらん
恩を報ずる 心あるらん
参照 芥川龍之介 & アリストテレス

この世には
いろいろの不幸がある
しかしその不幸から
よきものを生み出そうとし
また生み出し得るものは
堅い人である
与えられたる運命を
最もよく生かすということは
人間にとって大事な事である
武者小路実篤

いかなる状況に
置かれようとも
決して我が強靭なる
「信念」は変わらない。
「勇気」は壊れない。
「基礎」は揺るがない。
私には
自由な心がある!
誇りがある!
使命がある!
夢がある!
それらが
まさに今の自分の
「財産」である!

・時間がそれを軽減し和らげてくれないような悲しみは一つもない。
・私が孤独であるとき、私は最も孤独ではない。
・私は最も正しい戦争よりも、最も不公平な平和を選ぶ。
・人間の一生を支配するのは運であって、知恵ではない。
・人生から友情を取り去ってしまうなどとは、太陽をこの世から取り去ってしまうようなものだ。
・酒を飲まない人間は思慮分別を期待されない。
・事件の原因は、事故そのものよりも興味深い。
・食物の最上の調味料は飢え、飲み物のそれは渇き。
・汝は生きるために食べるべきで、食べるために生きるべきではない。
・長生きをしたければ中庸の道を歩け。
・黙して隠された敵意は、公然と言われた敵意より恐れられるものだ。
・哲学者たちの全生涯は、死に対する準備なり。
・涙ほど早く乾くものはない。
・書物なき部屋は、魂なき肉体の如し。
・第一に必要なのは大胆さ、第二に必要なのも大胆さ、第三に必要なのも大胆さだ。
・節倹は大いなる収入である。
・恩を受けた人はその恩を心に留めておかなければならない。
しかし、恩を与えた人はそれを覚えているべきではない。
・賢明な思考よりも、慎重な行動が重要である。
・あらゆる職業の中で、最も生産的で、最も楽しく、最も自由人に適するものは農業である。
キケロ(Marcus Tullius Cicero マルクス=トゥルリウス-キケロ)
ローマの政治家、雄弁家、文人。雄弁術をもって政界に進出。執政官に選ばれ、カティリナの陰謀を暴露して「国父」の称号を得る。のち、アントニウスを攻撃し、暗殺された。「国家論」「法律論」「義務論」「友情論」など多方面に著作を残す。英語読みではシセロ。(前一〇六〜前四三)
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